音楽の思い出話 【洋楽編】

ちょっとナルシスティックな記事です。
最近、むかしよく聴いた音楽のうち、特にお気に入りだった曲を、中古CDで探して入手して、パソコンでお気に入り曲集を作って、MP3プレイヤーで聴くのが、マイ・ブームです。そういった曲などを思い出話とともに紹介したいと思います。思いつくままに書いたので、時代考証が微妙にズレているかも知れません。アーティスト・曲名は、なるべくカタカナにしました。
秀峰が洋楽を聴くようになったのは、小学校5年の時、当時、AMラジオの文化放送でやっていた「電リク76」という番組がきっかけであった。その名のとおり1976年の頃だ。その番組でよくかかっていて、まずファンになったのは、オリビア・ニュートン・ジョンだった。生まれて初めてレコードを買ったのは、彼女のシングル(EPレコード)4枚だった。曲は「カントリー・ロード」「ジョリーン」「たそがれの恋」など。その頃の洋楽では、ベイ・シティ・ローラーズとかキッス、エアロ・スミスなども流行っていたが、秀峰はアメリカン・ポップスが気に入ったようで、カーペンターズなどを好んで聴いていた。78年頃、インベーダー・ゲームのブームがあったが、ゲームセンターでロッド・スチュアートの「アイム・セクシー」を耳にタコが出来るくらい聴いた。先日、これが無性に聴きたくなり、取り寄せようと思ったが、リミックス版しか入手できなかった。
中学生になって、アルバム(LPレコード)というものを初めて買った。それは、ビリー・ジョエルの「ニューヨーク52番街」だった。ビリー・ジョエルとカーペンターズの代表的な曲は、今でもカラオケでよく歌う。この頃、ジョン・トラボルタ主演の映画「サタデー・ナイト・フィーバー」が大ヒットして、ディスコブームが起きていて、その流れでビージーズなどはよく聴いていた。また、当時のディスコと言えばソウルだったと思うが、アース・ウインド・アンド・ファイヤーは好きだった。彼らの曲は、最近よくCMで使われているので懐かしくなり、「宇宙のファンタジー」なんかをカラオケで歌おうと試みたが、まったく歯が立たなかった。
高校に入ってからは、ヒット路線の洋楽にも邦楽に見向きもせずに、ひたすらジャズを聴いていた。スタンダード・ヴォーカルが中心だ。高校生がサラ・ボーンだのエラ・フィッツジェラルドだの聴いているんだら、ちょっとおかしなもんだ。だが、ジョン・コルトレーン(サックス)の「マイ・フェイバリット・シングス」には大いに感化された。それでマッコイ・タイナー(ピアノ)も好きになって、10年後に念願のライブ(ブルーノート東京)に行くことになる。生まれて初めて買ったCDは、ジャズピアノのケニー・ドリュー・トリオのベスト盤だった。
さて、80年代に入ると第3次ディスコ・ブームが訪れる。いわゆるユーロビートの黎明期である頃、秀峰も生まれて初めてディスコにデビューした。大学2年生の頃だ。と言っても、新潟の赤倉温泉スキーの時に、温泉街のホテルにあった即席ディスコであった。大ヒット中のA-HAの「テイク・オン・ミー」がかかってたのを憶えている。この曲はいわゆる「パラパラ」が初めて演じられるようになった曲だと聞いている。そして、デッド・オア・アライブの「ユー・スピン・ミー・ラウンド」とか、カイリー・ミノーグ、バナナラマ、シニータ、サマンサ・フォックスといったPWLレーベルの全盛となるが、秀峰は少し後になってから聴き始めたと思う。
都心のディスコに初めて行ったのは、六本木のロアビルにあった「リージェンシー」だ。ここは値段も安く初心者(?)に向いたディスコだった。あとは、日比谷と新宿にあった「ラジオシティ」はよく行った。踊りやすいユーロビートがかかるので、それ目当てで行ったものだ。この辺はディスコ初心者向けだが、わりと本格的なデイスコファンは、やはり「マハラジャ」「キング&クイーン」「シパンゴ」「Mカルロ」などに行っていたようだ。
秀峰にとって忘れてはならないのが六本木にあった「J・TRIP・BAR」だ。スカイラインGTSを駆って八王子から飯倉片町(路駐)まで飛ばして、朝まで踊って、明け方に中央自動車道を下るという元気な活動をしていた。よくかかっていたのがリック・アストリーの「トゥゲザー・フォーエバー」だった。テーブルだのグランド・ピアノに登って、へんちくりんなモンキーダンスもどきを踊ったものだ。その頃、新山下にあった「横浜ベイサイドクラブ」というのもクールだった。秀峰が行ったのは潰れる少し前で、客もまばらなフロアーにクリスタル・ウォーターズの「ジプシー・ウーマン」などがかかっていた。
80、90年代のディスコ音楽と親しんだ秀峰も、かの有名な芝浦の「ジュリアナ東京」の閉店とともにこの世界から足を洗う。六本木の「ヴェルファーレ」はついに一度も行くことがなかったし、ディスコがクラブと呼ばれるようになってからも行ってない。社会人になってからは、なぜか「J・POPS」に転向してしまった。カラオケブームのせいもあったろう。
洋楽の最も思い出深い曲となると、ディスコ行ってた時代、ハイエナジー系の大傑作、ホット・ゴシップの「ブレイク・ミー(イントゥ・リトル・ピーセズ)」である。この曲はつい先日やっと入手できた。失恋の曲で、それを聴いていた頃に大失恋をしたので、忘れられない曲である。

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